現代キプロス文学概観

メフメト・ヤシン
キプロスを代表する詩人・作家のひとり。トルコ、ギリシャ、イギリスの大学で政治学、歴史学、文学を学び、博士号取得。詩集10作品、小説3作品があり、文学研究書を6冊発表している。エッセイ、インタビュー全集もある。数々の文学賞を受賞した諸作品は、様々な言語に翻訳されている。

 

キプロスの近代文学が花開いたのはイギリス統治下にあった19世紀のことだ。そのため、キプロスの文学作品は3ヶ国語で書かれている。一番多いのはギリシャ語作品だが、トルコ語作品・英語作品もある。このように、その国の文学作品が複数の言語で書かれているという国は珍しいかもしれない。この伝統は、キプロスの歴史に根差すものだ。3000年前の銘文には、古典ギリシャ文字とフェニキア文字が並んで使われている。またキプロス方言のギリシャ語(キプリアカ)で書かれている文学作品も多くあり、一部には中世フランス語・イタリア語で書かれた作品もある。さらに近世にはオスマン・トルコ語と英語で書かれた作品、あるいは混合言語で書かれた作品も生まれている。しかし、最も重要な文学言語であり継続して使用されてきたのはギリシャ語であるため、現代文学の概観はまずギリシャ語から始めることにする。

近代文学の黎明期における重要な存在がヴァシリス・ミカエリデスである。国民詩人と評されるミカエリデスによって、キプリアカがキプロスで書かれる文学作品に使われる言語としての地位を確立することとなった。またミカエリデスは、ギリシャ語の詩の中にトルコ語と英語の単語を混ぜて使っている。しかし、ローカルかつハイブリッドと言えるこうした伝統は、その後の近代キプロス文学において主流となることはなかった。近代文学作品は、ギリシャとトルコのナショナリズムからそれぞれ影響を受け、別々の言語で書かれ、研究されたからである。

象徴主義、ロマン主義、高踏派、社会詩といったさまざまな文学潮流が生まれた後、文学の全領域を席巻したのはナショナリズムだった。詩と散文を代表する存在となったのがコスタス・モンティスである。ギリシャ・ナショナリズムの旗手モンティスは、偏狭なナショナリズムイデオロギーを超えたところで、物事の表面の下に潜むものを捉える能力を持つ作家であった。キプロスのギリシャ語詩は、モンティスがもたらした新しい次元によってさらに豊かさを増していく。その後に続く1940年代と1950年代の文芸シーンには、キリアコス・ハララビデス、ミカリス・パシアルディス、アンドレアス・フリストフィデスらに代表される「独立世代」と呼ばれる新人作家が登場した。そして1960年のキプロス共和国の誕生は、ギリシャ語文学の興隆をもたらし、1960年代と1970年代には数多くの作家・詩人が活躍する。フリストドロス・ガラトポウロス、コスタス・ヴァシレイオウ、リーナ・カツェリ、パヴィヨス・ヴァルデサリデス、グラフコス・アリセルシス、パイサゴラス・ドゥルシオティス、ニキ・マランゴウ、レフキオス・ザフェリオウらである。

カイタザデ・ナジムは、19世紀後半のキプロスにおけるトルコ語近代文学の成立に主導的な役割を果たした作家であった。初のトルコ系小説家であったナジムは、詩と戯曲も発表している。ナジムに続いて登場したのがムッセヴィドザデ・オスマン・ジェマル、アハメド・テフィク、メフメド・アリ・アキンジらで、彼らはオスマン・トルコ語キプロス文学の「改革の時代」を、全ての近代文学分野で代表する存在であった。ここでも、ギリシャ語文学の場合と同様、1940年代と1950年代はトルコの影響下でナショナリズムが高揚する。そのほとんどが最初は音節形態で書かれていた詩は、後に自由韻律に変わったが、いずれもロマン主義的、民俗学的、愛国主義的な内容であった。この時期、スレイマン・エベオル、ウルキエ・ミネ・バルマン、ペムベ・マルマラ、オスケル・ヤシン、ヒキメト・アフィフ・マポラシュ、サメット・マルトらをはじめとして、多くの新人作家が詩、小説、短編作品で登場している。

英語キプロス文学を見ると、作家のほとんどはバイリンガルであり、トリリンガルの作家もいる。初期の詩人のひとりには、英語詩をギリシャ文字を使って書いたヴァソス・イエルマシオティスもいる。英語とトルコ語の両言語で書いた詩人・作家ネジミ・サギップ・ボダミヤリザデは、コーランを物語詩風の文体で英語に訳した初めての翻訳者でもあった。タネル・バイバルスは初期の作品はトルコ語で、後にフランス語で書いたが、コモンウェルスで彼の名を高めたのは、英語で書いた他の作品である。またキプロスの英語作家としては、ナイヤ・ルッソー、ザントス・リシオティス、オスマン・トゥルカイが挙げられる。さらに、1974年後のキプロスを代表する作家としてはハジ・マイク、リサンドロス・ピサラス、アレヴ・アディリらがいる。また、ギリシャ系キプロス人作家やトルコ系キプロス人作家とは異なり、英語を使って書くことを好むのがアルメニア系キプロス人作家である。大きな成功をおさめているアルメニア系キプロス人作家のなかで、国際的に最も知られた近年の作家には、ノラ・ナディザリアンがいる。

1974年、ギリシャ軍事政権のクーデターとその後に続いたトルコによるキプロス侵攻は、キプロスのギリシャ系・トルコ系双方の文学コミュニティーにとって、決定的な出来事となった。キプロス分断をもたらしたこの悲劇は、その後続世代の作家にとっては創作活動の源泉となる。ユニークな詩人のひとりが、実存の深部へと潜り込む作品を発表したパンテリス・ミヒャニコスだ。その他、キリアコス・プリシス、シオドシス・ニカラウ、ヤニス・カツォウリス、パノス・アイアナイダス、エヴィ・メリグルー、ヨルゴス・モレスキス、ミカリス・ピエリス、ペトロス・スタイラノウ、ナサ・パタピオウ、クリストス・ハデジパパス、ニコス・オルファニディスらの名も挙げておきたい。

1974年以降のキプロス文学は、新たな表現の方向性を模索し、時間の経過の中で独自のアイデンティティを作り上げていく。キプロス人としてのアイデンティティが、ギリシャ人としての、またトルコ人としてのアイデンティティよりも優勢になっていくのである。それ以降、キプロス人としてのアイデンティティが持つ共通の文化資産を文学に取り入れることが、ギリシャ語作品でもトルコ語作品でも主流となった。新しく誕生した「1974年世代」は、旧世代の詩人・作家にも影響を及ぼしていく。これは特に、トルコ語キプロス文学に顕著に現れた。メヘメト・カンス、ベキル・カラ、フィクレト・デミラク、オズデン・セレンジらは、ハッキ・ユセル、ネセ・ヤシンら1980年代以降の若手作家が示した新たな理解を取り入れていく。

しかし、旧世代が取り組んだナショナル・アイデンティティというテーマは、21世紀の詩人・作家にとっては、もはやテーマではない。新世紀の詩人・作家の個々の作品が扱うテーマは、むしろヨーロッパ文学に広く見られるものになっている。たとえばマリア・シアカリのように、ギリシャ語とトルコ語の両言語で詩を書く詩人もいる。英語文芸誌 Cadencesにも、ギリシャ語とトルコ語の両言語の作品が掲載されている。Nea Epohi、Pneumatiki Kypros、Diorama、Kypriaki Estia はギリシャ語の、Duvardaki Delik、Gaile はトルコ語の定期刊行誌である。文学界には、ヴァキス・ロイザイス、エイミリオス・ソロモウ、エマル・カヤ、ナフィア・アクデニズ、コンスタディアス・ソウテロウ、クリストス・キデレオティス、ハリル・カラパサオグル、マリア・イオアノウ、マリナ・コンスタンス、アポストロス・マクリディス、ゼナン・セルチュク、コスタス・パティニオス、ヴァンゲリス・ハジヴァシリエスをはじめとして、大勢の新星が登場している。

日本語訳:中村有紀子