黒沢 歩(くろさわ あゆみ)
1993~2009年、リガにて日本語を教えつつ、ラトビア大学でラトビア文学を学ぶ。文学修士。文学翻訳のほかにラトビア語講師。エッセーに『木漏れ日のラトヴィア』(2004年)、『ラトヴィアの蒼い風』(2007年、共に新評論)。
“ラトビア人は内向き”——ラトビア文学を国外に発信するプラットフォームLatvian Literatureは、そんなロゴを掲げつつラトビア文学翻訳者会合を主催し、毎年の新人作家や話題作の紹介、出版社との交流の場を与え、私もそこに交じって学んでいる。
ラトビアの著名作家といえば、生前にノーベル文学賞候補になっていたベルシェヴィツァさえ知る人ぞ知るのみだろう。近年のラトビア文学に顕著な傾向は、ラトビア民族の歴史を反映させようとする姿勢にある。シリーズ『私たち、ラトビア、20世紀』は、2010年代半ばに始まり、現代作家13人が遠い過去であれ近い過去であれ、それぞれに焦点をあてた小説を発表した。そのうち、イクステナの『ソビエト・ミルク』(新評論、2019年)は、自身の祖母と母を想起させる二つの母娘関係を辿りながら、ベルリンの壁崩壊と同時にソビエト時代のトラウマが致命的となる結末に手繰りよせられていく。同小説はラトビア初の文学作品として初めてロンドンブックフェアで好評を得、13カ国語に翻訳されている。
同シリーズを支える出版社ディエナス・グラーマタは次なるラトビア文学古典シリーズ『私は…』で、13人の作家を主題とする小説を続々と刊行して、社会的な記憶としようとしている。早世の詩人ヴェインデンバウムスについては、生誕155年周年にユンゼが『私は決して死にはしない』と題し、謎に包まれた作家の死期をよみがえらせている。
他方で次世代の作家たちは、自嘲と疎外感をまとい文芸からあえて外れようとしているようにもみえる。混沌と崩壊の自由を謳歌した1990年代を自己のルーツとするヨニェヴスは、『メタル‘94』(作品社、2022年)でリアルさと軽妙な語りが広範な読者層に絶賛された。パンデミック期にデビューして話題作となったカルンオゾルスの『僕の名はカレンダー』は、知的障害をもつ主人公が日記形式で綴る声に出さない語りが、思いがけなく衝撃的だ。
ヨニェヴスは、90年代の実際の殺人事件を主題とした『12月』で、当時の新聞記事を丹念に読み込み、インタビューを盛り込み、探偵推理的に切り込んだかと思えば、最新作『迷子』で実在の迷子のペット探しの張り紙をスナップショットしキャプションを付すなど、もはや既定のジャンルにははまらない。
児童文学は詩人ザンデレが率いる出版社リエルス・ウン・マズスが牽引しているが、『世界の秀でた新しい絵本百選』に選ばれた『キオスク』(潮出版、2021年)のメレツェは、アニメーターとしてもユーモアあふれる異彩を放つ。こうした低年齢向けにおいても、老いや死、ジェンダーや環境をテーマに、寛容と理解を誘う潮流にある。ヤングアダルト部門では、パストレが実在した伝説的ラトビア人冒険家にまつわる『ライメの子どもたち』で、ボローニャ・ラガッツィ児童文学賞ニューホライズン賞を獲得した。
詩のジャンルは圧倒的に読まれ、個性的な詩人が常に登場している。装丁の美しい詩集を記念日の贈り物とする日常的な需要があり、詩集の出版は小説をはるかに上回る。例年9月上旬に開催される詩のイベントでは、一年間に出版された新人に光をあて、賞が授与される。数多くの朗読会では詩人の声を漏らすまいと多くの耳が傾けられ、静寂たる熱気に包まれる。
昨今、ウクライナ文学が数多くラトビア語に翻訳され、ウクライナを意識した詩が次々に発表されているのは、自由と権利への共感と支持、他者への理解を深めようとする意識と連動している。文化文芸のウェヴサイトSatori.lvは作家たちの鮮度の高い言葉が発信される場であり、エグレの詩『2月24日の朝』やヨニェヴスのエッセー『ウクライナ・メモ』からは、ウクライナ情勢が肌身の脅威として伝わってくる。
近辺の情勢を受けて保守的な価値観と民族主義に傾きがちなラトビアにおいて、文学には“内向き”どころか実は大いにアンテナを張り巡らしているラトビア語話者の多角的な内面が息づき、それは同時に不寛容へのプロテストとして機能する良識の砦ともなっている。