ヴァルター・フォーグル
博士。1958年、オーストリアのヴォルフスベルクに生まれる。1992年より東京在住。文学研究者、批評家、作家。慶應大学商学部教授、ドイツ語圏研究を専門とする。1992年以来、「オーストリア現代文学ゼミナール」(www.onsem.info)を通して日本へのオーストリア現代文学の紹介に携わる。
オーストリアは小さな国だが、文学の世界では大きな存在感を放っている。存命のノーベル賞受賞作家が2人(エルフリーデ・イェリネクとペーター・ハントケ)いることを誇る国はほとんどない。多声性、形式への自覚、多様性、ユーモアの感覚、「ずれ」と不条理、ラディカルな政治批判、加えて歴史的な経緯故に大きな物語に懐疑的であることや、非常にオープンであることなどを特徴とするオーストリア文学は、ドイツ語圏の文学においても特別な位置を占めている。その理由はいくつかある。まず、公的な資金が多く投入されていることが挙げられる。作家というキャリアを未だ魅力的に感じる人が多く、故に作家間の競争が盛んであることも一因だろう。またオーストリア文学は、小国である現在の領土内だけではなく、かつてのハプスブルク帝国全域で受容されているということも、念頭に置く必要がある。
オーストリアの文学がヨーロッパの偉大な国民文学の一つとしてその地位を得たのは、他国から多少遅れをとって、19世紀頃になってからである。ハプスブルク王家の時代から多民族国家であったオーストリアでは、音楽や視覚芸術、あるいは演劇といった表現の方が好まれたためだ。バロック的な豊かさを持った文体や、論文めいた平坦さを忌避するような言葉の用い方、この世はすべて舞台であるという世界観などに、表現にまつわる発展の歴史による影響が見て取れる。国家社会主義の時代に、オーストリア文学は一度断絶を経験する。その後、再び国際的な前衛文学の流行に追いつくことができたのは、体制の崩壊から10年ほど経ってのことだ。1950年代半ばには「ウィーン・グループ」が登場し、言語学の理論に影響されつつも、そのなかにバロック、表現主義、ダダイズムや土地の方言、言語批判理論などの要素を取り入れた詩を書いた。ウィーン・グループのなかで最も国際的に評価されたのは、ミニマルな詩に無政府主義的なユーモアを取り入れ、それまでにない読者層に詩を届けたエルンスト・ヤンドル(1925-2000)だ。散文で1960年代以降もっとも力強く斬新な文学の形を排出したのは、「グラーツ・グループ」だ。彼らが打ち立てた前衛の伝統は、今なおクレメンス・J・ゼッツやクサーヴァー・バイヤーといった若い世代の作家に引き継がれている。また、言語の面で実験的な作品だけでなく、保守的な僻地での生活に焦点を当てた、きわめて批評的で新しい「郷土文学(Heimatliteratur)」も登場した。ゲルハルト・ロート(1942-2022)やミカエル・コールマイヤーといった作家たちは、実験的な要素と土着的なもの、そして政治的なものをどうにか融合させることに成功した。どんなに政治階級に対して厳しい批判を展開しようとも、1945年以降のオーストリア文学は紛れもなく、国家建設を支える一つの柱であったのだ。
エルフリーデ・イェリネクはオーストリアに対するラディカルな批判や、セクシュアリティ、倒錯嗜好、権力、歴史の忘却の間の繋がりを指摘したことで、数々のスキャンダルを巻き起こしてきた。イェリネクと同じく小説家で劇作家のトーマス・ベルンハルト(1931-1989)もまた、底知れぬウィットとラディカルな悲観性でオーストリア国家の矛盾を暴いた。そして、オーストリア文学の三大巨塔と言われる最後の一人が、現代の最も優れた詩人のひとりであるペーター・ハントケである。ハントケは1990年代のユーゴスラビア紛争の間、一貫してセルビアを擁護したため、厳しい批判にさらされた。この三人の作家たちにとって、政治的行動と言語崇拝は密接に結びついている。言語そのものへの執着は、第二次大戦後のオーストリア文学に広く見られる。これは初めこそ内省的なものであったが、次第にリアリズム文学の伝統への嫌悪感へと変貌していった。幸い、オーストリアとドイツ両方の国籍を持つダニエル・ケールマンのような作家もいて、『世界の測量——ガウスとフンボルトの物語』(2005)などの世界的なベストセラーのおかげで、この伝統も絶えずに受け継がれている。
1970年代以降、殺人、追放、そして排斥によって失われたハプスブルクやユダヤ文化を再評価する時代が到来した。ローベルト・シンデルやローベルト・メナッセらは、1960年代の学生運動や、1900年頃のウィーンのカフェハウス文学に強い影響を受けた、新たなウィーン・ユダヤ文学の夜明けを告げる作家たちと言えるだろう。また、近年では、ますます多くの女性作家が文芸シーンにその足跡を残している。インゲボルグ・バッハマン(1926-1973)、イルゼ・アイヒンガー(1921-2016)、フリーデリケ・マイレッカー(1924-2021)らはいわば、オーストリア女性作家たちの守護聖人である。特筆すべき作家としては、マーレーネ・シュトレールヴィッツ、モニカ・ヘルファー、アナ・ミットグッチ、エヴァ・メナッセ、カトリン・レグラ、ザビーネ・グルーバーなどが挙げられる。第三帝国が現代に落とす影についてや、戦後イタリア映画から児童誘拐に至るまで、多様な題材に取り組んでいる。ジャンルの細分化の進むオーストリア文学シーンでは、ポストコロニアル文学、移民文学、多文化の視点を持った文学、複数の文化にまたがる文学、ポスト移民文学なども、ますます重要な役割を担っている。ウクライナ生まれのターニャ・マリャルチュックは、オーストリアを第二の故郷とし、今はウクライナ語とドイツ語の両方で執筆している。彼女のディストピア小説は恐怖、忘却、そして移民生活の困難を描くものだ。新星のであるアナ・マルヴァンもまた、母語であるスロヴェニア語とドイツ語の両方で執筆している。韓国生まれのオーストリア人作家アナ・キムはドイツ語で執筆し、戦争や疎外を題材としている。人のいない風景、闇や氷といったモチーフを好む傾向は、1980年代に精巧に削り出された言語でペーター・ローザイと共にポストモダン作家の筆頭となったクリストフ・ランスマイアーに通ずる。この二人は世界中を旅しており、ドイツ語紀行文学の中でも最も優れたものを著している。日本のポップ・カルチャーの受容を通してオーストリア文学に新たな刺激をもたらしているミレーナ=美智子・フレッシャールもまた、オーストリア文化の国際性の高さが見て取れる好例だろう。
日本語訳:山田カイル(アート・トランスレーターズ・コレクティブ)