ピリオ・ヒーデンマー
1959年生まれ。ヘルシンキ大学ノンフィクション文学教授。現芸術学部長。研究テーマは、事実に基づくテキストとその周辺領域。フィンランド語、教科書および読解に関する記事や書籍を多く発表。
フィンランドは読書が盛んな国として知られている。商業出版が爆発的な増加を見せたのは19世紀のことだ。まず国民教育の現場で教科書が必要とされたことが出版業の屋台骨となった。次に、1830年代に出版されたフィンランド民族叙事詩『カレワラ』によってフィンランド語が奨励され、教育現場と報道機関でもフィンランド語の使用が推進された。この運動はフィンランド語の果たす役割を強め、公共の場では主にスウェーデン語が使われていた時代のなかで、フィンランド語の地位を強化することにつながった。現在のフィンランドでは、フィンランド語とスウェーデン語が共に公用語とされており、学校教育の現場では両言語が教えられている。出版社の中にはフィンランド語書籍を積極的に出版しスウェーデン語書籍は少なめであるところもある。フィンランド語人口は、フィンランドの人口の95%を占める。
さらに、1830年~1920年の民族的ロマン主義運動の中から、数多くの芸術家、画家、作曲家、小説家が生まれた。彼らの多くはフィンランド文化において著名な古典的存在である。フィンランド初の小説家、アレクシス・キヴィの作品は今でも学校で読まれ、戯曲も劇場で上演されている。最も著名な女性小説家、ミンナ・カントの小説・戯曲も同様だ。
また、フィンランドでは文学作品の翻訳も盛んである。新規出版書籍のほぼ40%が翻訳作品と推定されており、主に英語からの翻訳が多いが、スウェーデン語、スペイン語、フランス語からの翻訳作品も多い。大衆向けの科学本、政治史、現代小説を始め、読み出したら止まらない本など、ジャンルはさまざまである。
小説のトレンドは歴史もの、探偵もの、事実に基づいた物語
フィンランドの読者はリアリスティックなスタイルを好むが、それが特に顕著なのは歴史小説の分野である。歴史小説というジャンルをそれぞれ独特な手法で確立した先駆的存在はヴァイノ・リンナ、ミカ・ワルタリ、カアリ・ウトリオらである。リンナは20世紀のフィンランド史を、 ワルタリはヨーロッパ古代史を題材に、ウトリオは主に13世紀から19世紀を女性の視点から取り上げている。現代作家ではパウラ・ハヴァステ、トンミ・キンヌネン、アンニ・キトマキ、シルパ・ケーケネンらがいる。ミクロストリア文学・小説と呼べるであろうこのスタイルの作品は、資料庫での綿密な調査から生まれている。
探偵小説、あるいは殺人事件を題材にしたミステリー作品も人気だ。このジャンルを代表する作家レーナ・レヘトライネンが世に送り出した主人公マリア・カリオは、小説でもテレビドラマでもよく知られた存在である。マルチな才能で知られるヴィルピ・ハメーン=アンティラは、1920年代を舞台とする10の殺人ミステリーを最近発表したところである。イルッカ・レメス(ペンネーム)が30年にわたって発表している政治スリラーは、何百万部も売れている。
もうひとつの人気ジャンルは実際の出来事をベースにした小説である。最近登場したジャンルとしては、実際に起きた犯罪を元にして作られる「トゥルークライム」がある。実際の犯罪や、実在の有名な犯罪者を土台にしながら、フィクションの要素が盛り込まれた「トゥルークライム」作品は、テレビ、ポッドキャスト、本という異なる媒体で同時に売り込まれる。歴史上の人物と想像の物語を混ぜ合わせる伝記小説(バイオフィクション)と呼ばれるジャンルもあり、「トゥルークライム」と「バイオフィクション」は、倫理に関する問題を提起し、文学批評に挑戦を挑むものになっている。
ノンフィクション散文作品:大衆向けの科学本、ライフライティング、クリエイティブなノンフィクション作品
ノンフィクション散文作品は、宇宙・自然から文学・社会に至るまで幅広い分野をカバーしており、作品数は小説を上回る。ガイドブックや百科事典など、純粋に事実を記述する書籍は減少傾向だが、クリエイティブなノンフィクション作品、エッセイ作品、またあらゆる形態のライフライティング作品(回想記、伝記、経験談、オピニオンなど)の人気は高まっている。たとえば、研究者や学者が自身の専門分野について、研究に基づく記述と共に自身の個人的な視点や解釈を述べる長編エッセイなどである。
食料、気候、社会、倫理、歴史と時事的な話題を広くカバーするこの人気ジャンルでは、ラウラ・コルベ、ミルッカ・ラッパライネン、ヘンリク・メイナンダーといった歴史学者など、大学で教鞭をとる学者も執筆している。
気候、社会といったテーマに強い態度で臨む論争的なエッセイストとしてはティーナ・ラエヴァーラ、リスト・イソマキがいる。両者とも、科学的知識に基づく小説も発表している。
児童・青少年向けの文学作品
今世紀に入り、児童文学分野は非常に大きな成長を遂げた。この分野は物語本、挿絵入り本、フィクション・ノンフィクション問わず、内容・数の両面で数倍の規模で拡大している。
長い伝統を持つ児童文学分野からは、トーヴェ・ヤンソンと、世界中で愛されているキャラクター、ムーミンが生まれている。また、マウリ・クンナスは、フィンランドの歴史・文化をテーマに自身で挿絵を描き、動物を主人公とした絵本を発表している。
またこの分野では、新鮮なスタイル・視点を持つ新人作家が生まれている。ユッカ・ヤーラリンネは、教育的な要素を盛り込んだユーモアたっぷりの数学と自然についての本を発表している。またシニッカ・ノポラ、パウラ・ノロネン、ティモ・パルヴェラは独自のヒーローを主人公にしたシリーズを世に送り出した。青少年文学の分野では新人作家とベテラン作家が共に活躍しており、代表的な作家にはアレクシス・デリコウラス、トミ・コンティオ、サラ・シムッカがいる。
まとめ
プロとして活躍している数多くの作家は、理論面での教育も受けていることが多い。そして多くがフィクション・ノンフィクションの両方を、大人向け・子供向けの両分野で書いている。フルタイムで執筆活動をし、それで生計を立てている作家はそれほど多くないが、政府やさまざまな基金からの補助金が文学創作活動を支援している。政府からは図書館の貸出を対象とした補償金が作家に支払われている。
紙書籍の出版は2000年~2010年に最高潮に達し、その後、わずかに下降を続けている。しかしこれは必ずしも実態を正しく映し出すものではない。印刷出版される新規書籍は毎年約9000タイトルあり、そのうちフィクションは30%、ノンフィクションは70%である。大きな変化が現れているのはノンフィクション分野だ。教科書や百科事典が、主にデジタル形式に変わっているためである。物語・クリエイティブ系のノンフィクション作品は増加しており、またコーヒーテーブルブックやイラストつき本も増えている。
オーディオブックの売上は伸びている。ただ、オーディオブックに対する態度に関して読者層は真っ二つに分かれている。自分のお気に入りのジャンルとアプリにほぼ依存状態に近い状態にある人がいる一方で、本当の文学としては紙書籍しか認められないという人もいる。新世紀における読書は社会的活動として変化を遂げており、友人同士で作ったり、あるいは図書館が提供したりする読書クラブが人気を得ている。Facebook、Instagram、文学系ブログといったSNSを活用しての文学体験のシェアも盛んだ。
文学を支援し、文芸インフラを作り出す公共図書館は、フィンランドの読者にとって欠かせない存在である。
過去10年で、フィンランド文学に外国から寄せられる関心は増加している。翻訳作品の売上は少しずつ増加しており、2022年に翻訳された作品は400タイトルにのぼった。およそ40言語への翻訳が行われており、トップ5はエストニア語、ドイツ語、ロシア語、ポーランド語、スウェーデン語である。
日本語訳:中村有紀子