マルタ文芸シーン概観

テオドル・レリック
セルビアのベオグラード生まれ、マルタ育ちのジャーナリスト兼作家。現在、マルタ国立書籍評議会(NBC)でマーケティングマネージャーを務めている。デビュー小説『Two』は、2015年に国民書籍賞の最終候補に選ばれた。短編映画『Camilla』の共同脚本を手がけ、『Is-Sriep Regghu Saru Velenuzi』で長編映画の脚本デビューを果たす。また、2022年にInez Kristinaがイラストを手掛ける風刺的な宇宙ファンタジーコミックシリーズ『Mibdul』を発表。

マルタは公式には、マルタ語と英語の2カ国語を公用語とするバイリンガルの国である。しかし、マルタ語が国語であるという事実には変わりがなく、これは文学創作にはっきりと現れている。マルタ国立書籍評議会(NBC)のデータベースには、700を超えるマルタ人現代作家が登録されているが、多数派はマルタ語で書く作家である。

NBCは、国内の作家・出版社をはじめ、翻訳者や挿絵作家といったその他の関連ステークホルダーを支援し代弁するために設立された公的機関であり、マルタ文学の現状把握には最適な立場にある。NBCの国民書籍賞 National Book Prizeは、その年にマルタで出版された最も優れた書籍と作者に贈られ、また国民書籍基金 the National Book Fundは、優れた文化的価値を持つが、商業市場に直接進出することは難しいと思われる書籍プロジェクトを対象に資金援助を提供している。

国民書籍賞と並んで、青少年を対象とした「テラマクスカ」賞も設けられている。これは、青少年文学の分野で出版された作品の中から傑出した作品に毎年贈られる賞である。青少年文学は様々な点で、表現の幅を広げ、規範に疑問を投げかける質の高い文学作品を産み出す土壌となっている。この分野では、マルタ人作家が熱心な挿絵作家と共同で脳の多様性(ニューロダイバーシティ)や同性カップルといったテーマとの丁寧な取り組みを進めており、また書籍基金に翻訳部門が設けられているおかげで、マルタ語作品の外国語への翻訳、外国語作品のマルタ語への翻訳の両方向で翻訳も盛んに行われている。加えて、青少年文学ジャンルは文学市場全体のなかで経済的メリットを享受している。ミクロ国家だけに経済規模もそれなりのマルタでは、オープンな姿勢を持つ若い読者層の存在は、そうした本が学校のカリキュラムに取り入れられることも含め、国内の出版社にとっては重要な生命線なのである。

大人向けの文学も同様の方向に向かいつつあり、より多様な視点を徐々に取り入れ始めている。昨年の国民書籍賞の小説部門最優秀賞受賞作品、タイロン・グリマの『Fragments』は、作者の LGBTIQの視点が盛り込まれた迫力あるディストピア物語だ。同じく小説部門で今年の国民書籍賞の最終選考に残ったロラン・ヴェラの『Marta Marta』は、マルタに残るカトリック教会の遺産と多様な性的指向という現実の衝突を直感的に(かつ遊び心を交えて)描く、大胆な実験的作品である。

また国民書籍賞のもうひとつの特徴は、特別功労賞と最優秀新人賞というカテゴリーが設けられていることだ。巨匠に敬意を表すると共に、期待の新人作家を奨励するこの2つのカテゴリーの存在は、マルタ文学界の歴史を俯瞰させるものでもある。2020年の特別功労賞は、トレヴァー・ザーラに贈られた。誰もが受賞を当然と感じたザーラは多作で多彩な才能を持つ小説家・戯曲家であり、またアナウンサーとしても活躍した。あらゆる年齢層向けに、ほぼあらゆるジャンルで作品を書くザーラは複数の世代の読者に影響を与えたロアルド・ダールのような存在であり、マルタ文学界で活躍を続ける重鎮である。それに対し、2022年の特別功労賞は著名な歴史学者ヘンリー・フレンドが受賞している。これは、フレンドによるポストコロニアル時代のマルタに関する先駆的な研究実績が評価されたことを意味するだけでなく、マルタにおいてノンフィクション作品が健全な成長を遂げている証でもある。マルタという島が歴史的に類を見ない位置づけにあることから自然に生まれた結果であろう。マルタに関しては毎年、興味深い研究が次々と生まれ、世界中の多くの研究者の注目も集めている。2022年の最優秀新人賞は、作家・アーティストであるマシュー・スケンブリに贈られた。ヤングアダルト小説 『Selfies』でデビューしたスケンブリが、その小説に戦略的な「削除」を加えて生み出したのが第2作『I’ve Deleted You』だ。この作品は『Selfies』中から意図的に節・句を削ることで生まれた空白から構成される作品なのである。この実験的な感覚、自身の技巧を常に改良しようと取り組む姿勢を持つスケンブリが、最優秀新人賞の候補となったのは当然の帰結だった。

詩も、マルタ文学において今なお重要な位置を占めている分野である。NBCが創設した桂冠詩人の称号は、詩の伝統がマルタにおいて長い歴史を持つことの証だ。ロマンティックな抒情詩から独立を求める政治詩、またその後はジェンダー問題を扱う詩にまで及ぶこの伝統のなかで生まれたベテラン詩人のひとりが、マリア・グレチ・ガナドである。2023年にアンソロジー『The Bell
』を発表したバイリンガル詩人ガナドは、特にマルタの女性作家にとってインスピレーションの源である存在だ。

ウクライナ戦争によって起きている紙不足など、国内的にも国際的にも山積する挑戦課題は、マルタの出版社に特に大きな打撃を与えている。しかしマルタの書籍業界にはまだ抵抗力がある。長い伝統を持つ出版社も、新興の小規模専門出版社も、作家と読者に対してより近しい直接的な経験を提供している。その一方でNBCは、マルタ島という地理的な境界線を超えて作品の影響力を広げる努力を関係者に促し、国際化に力を注いでいる。この分野で成果を上げることは短距離走ではなく長距離マラソンになることだろう。しかしこれは、マルタの文学界が今後も引き続き繁栄を続けるための方法のひとつなのだ。

国立書籍評議会(NBC)

出版社と作家で構成される公的評議会。マルタの書籍業界に重要な様々なサービスを提供すると同時に、読書を奨励し、コミュニケーション手段としての書籍を形式を問わずに支援している。公のフォーラム・機関として作家と出版社を代表し、書籍業界のステークホルダーの利益を代弁する。国内で開催される小規模なイベントのほか、マルタブックフェスティバル、国民書籍賞を主催。また公貸権を管理し、様々な文学イベントとコンクールを開催している。ISBN、ISMNの管理団体。

NBCは目的達成のため、文化的思考とマルチメディアを駆使して様々なパートナーとの協力を推進している。機関としては教育雇用省の管轄下にあり、公教育インフラの一部と位置付けられている。

日本語訳:中村有紀子