オランダ文学への短いイントロダクション

ラウケン朱子さんの本棚

ラウケン朱子

日本とオランダで育ち、アムステルダム大学人文科学科を卒業。オランダ文学基金にてオランダ文学のプロモーションに従事。現在は独立し、アムステルダムの出版社に勤務。

 

オランダは長きにわたる貿易の歴史を持つ国であるし、オランダ語はヨーロッパの言語のなかでは「小さい」ものに属するので、オランダの読者は翻訳を通して、あるいは外国語で文学を読むことに慣れ親しんでいる。若い世代ではなおのことだが、国民一般の英語レベルが高いため、英語の書籍に関しては、翻訳を通して失われる細かなニュアンスや機微を感じることのできる原著が好まれる。とはいえ、毎年恒例の「オランダ全国読書週間」は、オランダが自国の作家や言語、文学の伝統への思い入れを再確認する行事であり、文芸を楽しむ文化が深く浸透していることが感じられる。ここでは、オランダ文学の伝統がどのようなものであるか、簡単に紹介したい。

まず古典から始めよう。ムルタトゥーリはその大著『マックス・ハーフェラール——もしくはオランダ商事会社のコーヒー競売』で重要な足跡を残した。オランダのインドネシアにおける植民地政策を批判し、当時の社会通念に疑問を呈した作品だが、現代でも色褪せることなく、西洋の発展の影にしばしば見過ごされてしまう現実を、我々に思い出させる。アントン・デ・コムも同様に、帝国の抑圧とそれに対する抵抗の感動的な物語『スリナムの奴隷』を我々にもたらした。ルイ・クペールスも重要な作家で、デビュー作『エリーネ・フェーレ』が有名である。豊かな散文で、エマ・ボヴァリーやチャタレイ夫人に匹敵する力強いヒロインが社会の慣習に抗う姿を悲劇的に描き、読者を異なる時代へと誘う作品だ。

オランダ近代文学に移ろう。オランダ文学の大御所婦人、 ヘラ・ハーセは個人的な物語を歴史的なものの中に編み込んでいく作家だ。オランダ国語教育の定番である『ウールフ、黒い湖』は、植民地の農園主の息子と地元の少年の友情と別離の物語である。『襲撃』で知られるハリー・ムリシュは、第二次世界大戦がオランダの個々人、そして集合意識に対して残した傷跡に切り込む。ナチスの協力者が殺害されたことをきっかけに、罪の意識、記憶、復讐をめぐる物語が動き出す。一方、マルガ・ミンコは『苦い薬草』で、10代の少女の語りを通した素朴な文体を用いながら、ホロコーストがオランダのユダヤ人家族に与えた重篤な影響を等身大の目線で描写している。ヘラルド・レーヴェ の『Evenings』も現代の名作だ。ガーディアン紙が「戦後アムステルダムの都市生活の空虚さが最上級のコメディを生んでいる」と評するように、戦後オランダ社会の雰囲気を捉えている。

現代の作家たちは、内省的な傾向を引き継ぎ、登場人物の心理を深く描くことで、人々の弱さや道徳的な葛藤を露呈させる。先述の作家たちの多くも受賞した権威あるP.C.ホーフト賞が全著作に対して送られたアーノン・グランバーグは、『Good Men』で巧みにやってみせたように、条理と不条理の間を行き来するプロットを通して、鋭く皮肉に満ちた視線で登場人物を解剖していく。

カーリン・アマトムクリムの自伝的小説『The Gym』は、多文化社会の複雑な経験にまつわる洞察を読者に与えるものだ。タイトルは、オランダの中等教育で最も高レベルでエリート主義的な機関である「ギムナジウム」の略称である。アイデンティティ、帰属意識、周囲からの期待にまつわる物語であり、また、移民の背景を持つ子どもがしばしば抱える重圧と責任についての物語だ。

ロベルト・ヴェラーヘンの『Antoinette』は、繊細な散文と抒情的な語りを通して、男性の目線から見た不妊の問題を描いている。先進的だと言われるオランダでも、これは非常に珍しい視点だ。児童書の執筆からキャリアをスタートさせたヤープ・ロッベンもまた、フィクションの作り手として評価され始めている。彼の二作目の小説『Summer Coat』は、兄弟愛や、ときに子どもが、本来大人たちが担うはずの責任を背負わされるという理不尽な状況を丁寧に描いている。

イラクを逃れ、1998年にオランダに亡命したロダーン・アル・ガリディの視点は、移民としてオランダに生きる経験を理解するうえで欠かせないものだ。彼の『Two Blankets, Three Sheets』や『Holland』といった作品の中核を成すのは、難民としてオランダにやって来た人が、しばしば批判の対象となる官僚制にもがき、やがて温かくも厳しくもある新たな人生を生きる術を見つける経験である。

オランダ文学の未来もまた、期待すべきものだ。マリーケ・ルカス・ライネフェルトは2020年にブッカー賞を受賞した『不快な夕闇』で喪失の悲しみを不穏に描き、新たな才能の登場を印象付けた。世界中でそうであるように、オランダ社会でもますます環境問題への意識が高まっている。リーケ・マースマンやペーター・ザンティングは気候変動への危機感、我々と自然の関係への示唆や、そうした意識が家族計画といった個人の人生における決断にどのように影響を与えるか、といった話題に共感を寄せる物語を執筆している。

一つの導入としてオランダの著名な作家、そして注目すべき作家を挙げてきた。これを読んだ皆様が、現代のヨーロッパの生活を映す多文化的で多面的なパッチワークとしてのオランダ文学に関心を持ってくれることを願う。

日本語訳:山田カイル(アート・トランスレーターズ・コレクティブ)