ルイ・ズィンク
ルイ・ズィンク(Rui Zink、1961 年生まれ)は、リスボンの作家兼大学教員です。『A Instalação do Medo(恐怖の設置)』のフランス語版は、2017 年ユートピアレス賞の最優秀外国小説賞を受賞しました。小説『待ちながら』(近藤紀子訳、而立書房)と、黒澤直俊氏と編纂した『ポルトガル短篇小説傑作選』(現代企画室)が日本では出版されています。
ポルトガル文学はエキサイティングな、しかし断片化された瞬間を生きている。
ポルトガルはゆっくり燃える国だ。魂についた傷を舐めることに時間をかける。2024年は、ポルトガルに民主主義を復活させたカーネーション革命から50年を迎える記念の年だが、いまだにポルトガルは長く続いた独裁政治の後遺症と、現在は独立国となったアンゴラ、モザンビーク、ギニアビサウの様々な前線で13年間続いた戦争のトラウマのなかに生きているように感じられる。ポルトガル文学が生み出した最高の文学作品のいくつかが1974年の独裁制の終焉、そして植民地の終焉に囚われたものであるのも、不思議なことではない。
作家というものは滅多に引退しない。それゆえ、アントニオ・ロボ・アントゥーネス(1942年生まれ)、リディア・ジョルジェ(1946年生まれ)などの守護神的存在の作家は今も現役で活躍している。彼らの作品の多くは、自身が大人になってから経験した植民地戦争を扱ったものだ。彼らよりも若い世代の作家であるドゥルセ・マリア・カルドーゾ(1964年生まれ)、イザベラ・フィゲイレド(1963年生まれ)は子供時代をアフリカで過ごしている。彼女たちの代表作も、その子供時代の経験を描いたものだ。 カルドーゾ、フィゲイレドは共に retornados(帰還者)としてのトラウマを抱え、ほとんど足を踏み入れたこともない惨めな母国に戻ってきた白人世代を親に持つ。 カルドーゾの『O Retorno (帰還者)』 (2012年)は、これまで取り上げられなかった空白部分、すなわち着のみ着のままでそれまでの生活から逃れ、リスボン近郊のホテルに収容された避難民の、憤懣と動揺にあふれた煉獄のような生活を描き出す素晴らしい小説だ。フィゲイレドの『Caderno de Memórias Coloniais (植民地の記録帳)』(2012年)は、疑問の余地なく明らかに自叙伝的な内容を盛り込んだハードな作品である。
その一方で、元植民地出身の作家が外国人作家ではなく、(有色系ではあっても)ポルトガル人作家としてようやく読まれるようになってきている。 ジャイミリア・ペレイラ・デ・アルメイダ(1982年生まれ)は、文学エッセイ『Esse Cabelo(その髪の毛)』(2015年)でデビューした。まさに「アフリカンヘア」が、いかに意外な(時には愉快な、時には苦々しい)文化的話題になるかを取り上げたエッセイである。すでに詩人・活動家として知られていたジゼラ・カジミーロ(1984年生まれ)が2023年に大手出版社から発表した『Estendais (物干し台)』では、ギニアビサウで生まれた1人の女性が、ユーモアたっぷりにリスボンのシュールな日常を案内する。
肌の色には意味があるのか? いや、あってはいけないはずだ。男女を区別することにも意味がない。誰が、どのテーマについて話す正当な権利を有しているのかという、西洋で展開されている現在の議論は的が外れていると思う。想像力の持つ力を危険な形で否定しているように見えるのだ(『ボヴァリー夫人』は作者が男性だからといって放逐すべきだとでも?)。その一方で、フィクションは無から生まれてくるわけではない。想像力の源は、目の前にある現実を自己がフィルターにかけるその方法にあるのだ。さらに、ある集団がつねに別の集団の代弁者となることは、その意図がいかに善良なものであったとしても、健全なことではない。
ニューヨークタイムズ2020年注目の本に選ばれた『Nas Tuas Mãos (あなたの手の中で)』(2010年)を書いたイネス・ペドローザ(1960年生まれ)をはじめとする作家は、かなり最近まで女性小説家の登場する舞台は、平日の夜に開催されるような軽いディスカッションの場などに限られる傾向があったと指摘している。そして、そこで「女性文学というものは存在するのか?」というようなテーマで議論するのだ。一方で男性小説家はもっと規模の大きい、たとえば「文学は歴史の流れを変えることができるか?」といったテーマを扱う、と。
現在、ポルトガル文学を代表する最も力強い声はおそらく女性作家から聞こえているということを考えると、目が覚める気分だ。パトリシア・ポルテラ(1974年生まれ)、クラウディア・ルーカス・シェウ(1978年生まれ)、ジョアナ・ベルトロ(1982年生まれ)といった作家の小説は、明らかに実験的で革新的な精神で書かれている。劇場の舞台にのせることも恐れない作品だ。ノンフィクション作家であるスザナ・モレイラ・マルケス(1976年生まれ)の名もあげておかなければならない。ポルトガル文学の現在は、書店が本棚を整理整頓することが難しいほどの盛況にある(こんまりさんが必要だ)。
注目すべき若手世代には、バルバラ・ペドローザ(1990年生まれ)、イネス・モンテネグロ(1988年生まれ)がいる。モンテネグロはSFという「比較的規模の小さい分野」で活躍している。
「Herdeiros de Saramago(サラマーゴの継承者たち)」(2020年)は、35歳以下を対象としたジョゼ・サラマーゴ文学賞の受賞者を取材したポルトガルのドキュメンタリー作品である。サラマーゴ文学賞は、ポルトガル語圏では現在のところ
唯一のノーベル文学賞作家の名を冠して創設されたものだ。同賞の初期の受賞者には、カーネーション革命の頃まだ赤ん坊だった世代の作家、ヴァルテル・ウーゴ・マイン(1971年生まれ)、ゴンサロ・M・タヴァレス(1972年生まれ)、ジョゼ・ルイス・ペイショット(1974年生まれ)、ジョアン・トルド(1975年生まれ)らがいる。アフォンソ・クルス(1971年生まれ)は同賞の受賞者ではないが、やはり同世代の才能ある作家として名をあげておきたい。中でも最も野心的な作家は、1年に2作のペースで作品を発表し続け、わずか20年間で作品の山を築き上げたタヴァレスだ。タヴァレス作品は数多くの言語に翻訳されている(*邦訳では『エルサレム』)。ジョゼ・ルイス・ペイショットの小説『ガルヴェイアスの犬』は木下眞穂によって日本語に翻訳され、2019年の 日本翻訳大賞を受賞している。
ポルトガル人作家は外国の小説作品を数多く読んでいる。昔からそうだったのだが、今ではそれが臨界点に達しているようだ。小説家が頭の柔らかい読者であることはいいことなのだが、その一方で、そうした厳しい食餌療法はワナと化すこともある。最終的に、自分の書く物語からあらゆる「地元くささ」を取り除き、ポルトガルの名前や特徴 、地名などを避けるまでになってしまいかねない。若手作家の中にはさらに一歩先に進み、最初から直接英語で書こうとする者もいるほどである。それが成功するための手っ取り早い近道だと感じられるのかもしれないが、彼らが忘れていることがひとつある。それは、生まれ育つときに覚えた言語こそ、通常は最もクリエイティブになれる言語だということだ。とはいえ、彼らもまた「オズの魔法使い」のドロシーのように、やがては「おうちが一番」であることに気がつくだろう。
その一方で、フェルナンド・ペソアならこう言うはずだ。誰か他の人間でありたいと願うことほど、ポルトガル人として典型的なことはないではないか? と。